日本には「100年以上続く会社」が4万社以上あるといわれています。
創業1000年以上の会社は日本国内で10~20社もあり、世界最古の会社も日本。
まさに「日本歴史の生き証人」ですね。
そんな超老舗企業を含む伝統企業を取り上げて、その「継続の法則」をまとめたのが、今回取り上げる書籍「何があっても潰れない会社」です。
扱われる企業は、手芸会社から食品、薬品、部品製造、寝具、製紙、素材、百貨店、アパレル、物流、建設、レジャーなど、多岐にわたります。
それらの中から、私自身が特に気になった会社を取り上げ、その要点をまとめつつ、そこに個人的な感想を述べて紹介していきたいと思います。
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石油製品・小売りの老舗「株式会社 吉次屋本店」
創業は1568年というから時は戦国時代になります。
遠祖の塩屋孫在衛門は甲斐の国で塩の流通などに関わっていたとされ、当時の戦国大名であった武田信玄とも関係が深い一族となっています。
江戸時代には油を扱うようになり、明治時代には塩から油産業に本格的にシフトチェンジしました。
戦後はシェル石油、現在は出光興産の特約販売店として、石油商品を専門に扱うようになっています。
吉次屋の社是は「最古にして最新たれ」。
伝統的な石油産業だけでなく、太陽光発電にもいち早く進出し、時代の先駆けを担ってきたということ。
石油産業と言えば1970年代のオイルショックもあり、太陽光発電も10年前のブームから一時は衰退したように見えましたが、どちらもエネルギー価格の高騰などを受けた現在の状況、再び脚光を浴びています。
時代の先を読みつつも、暴利をむさぼらず、地道に社会のために会社の本分を尽くしてきた吉次屋さんだからこそ、私心なき曇りのない目で時代を先を見据えることができるのでしょうね。
現在は経営するガソリンスタンドをモビリティステーションとして、自動車の購入から、車検、保険、レンタカー、カーシェアリング機能まで備えた新たなサービスを展開しています。
地域社会に密着し、ユーザーの利便性を追求した姿勢が、今後も地元社会を潤していくということ。
本業を守りながら時代に即応していく「サバイバル術」は、会社でも個人でも見習うべきですね!
ふとんの西川株式会社
寝具メーカーの西川株式会社です。羽毛布団といえば「西川」というくらいに有名で、私も子供の頃はこちらのメーカーさんの寝具を使っていました。
そんな西川の歴史は456年というから、こちらもかなり古いです。
創業は1566年で時は戦国時代。
創業の地は近江(滋賀県)で、私の好きな戦国大名の織田信長の本拠になる「戦国マニア」には重要すぎる場所ですね。
西川家は当初は近江商人として近隣地域で行商をしていたといいます。
やがて江戸にも進出し、2代目の時代になると「色鮮やかな蚊帳」を販売して、インテリアとしても人気を博したと言います。
7代目になるとそれまでの経営の整理を行い、財政規律を強化、9代目になっていよいよそれまでの主力商品の一つだった「蚊帳」から「布団」を扱い始めます。
さらに時代が下がって戦後の高度経済成長期に化学繊維と天然綿毛の混合綿である「合繊わた」を使った人んを開発。
「軽くて温かくて、打ち直しのない布団」として人気を博し、さらに高級羽毛布団を販売することで、一流寝具メーカーの地位を確立したという流れですね。
しかしバブル崩壊後の経営状況の悪化や、それまでに主流だったライセンスブランド(有名ブランドのライセンスを取得して、そのブランドのロゴを商品に配して自社製品として販売する商法)が厳しくなります。
ブランド側のロイヤリティ料の引き上げのために、自社の利益を圧迫し始めたからです。
こうして西川は自社ブランドの再確立を目指し、2008年に「エアー」を発表。
楽天イーグルスの田中将大選手をサポートしていたことで「睡眠の重要性」「心身のコンディショニング」アイテムとしての寝具が人気を呼び、再び西川のブランドが世間に認知されます(現在は大谷翔平選手)
その後も寝具開発の技術を生かしたマスクを発表し、コロナ禍でも大活躍。
枕カバーやシートクッション、フットウォーマーなど、寝具から発展した「癒し」の製造を現在も変わらず続けているとということですね。
会社の本分を忘れない一貫性、その流れの上での時代の先読みをしてきたことが、繰り返される会社継続の危機を乗りこえさせたコアのマインドだと感じます。
日本のものづくりを代表するメーカーとして、人の体を心地よく包んでくれるボディケアブランドとして、ぜひこれからも発展を尽くしてほしいです。
世界最古の建設会社「金剛組」
次はいよいよ本書のボス的存在である「金剛組」を取り上げます。
創業は飛鳥時代の578年。
まだ聖徳太子が活躍していた古代で、まさに歴史の1ページという感じですよね。
もともとは当時の朝鮮半島の百済から聖徳太子が「四天王寺の建設」のために招致した3人の工匠の一人「金剛」が創業者となっています。
その後も四天王寺の守護を国家から命じられ、1400年以上から現在に至るまで、その役割を果たし続けています(四天王寺から「正大工職」という称号を得ています)
現在は41代目で、計算すると一代は34年というスパンで継承を続けているようですね。
その後も明治期にあった経営の危機を乗り越え、戦後、高度成長期と時代の流れに合わせた建設業に発展していきます。
同時に創業の礎だった「社寺の守護」から業務が拡大していき、コンクリート建築の仕事が受注の7~8割を占めるようになったといいます。
これによって大手ゼネコンとしのぎを削るようになり、資金力に劣る金剛組は徐々に経営を悪化させていきます。
その結果に訪れたのが、会社解散の危機。
それを救ったのは高松建設です。
金剛組のメインバンクだったりそな銀行が、同じく取引先だった高松建設に救済を依頼し「金剛組を潰したら大阪の恥や」(当時の高松孝育会長)となって、2005年に高松建設が全額出資して新たな金剛組を設立したのです。
こうして日本が世界に誇る最古の建設会社は息を吹き返し、今も古代の匠の技を継承することになりました。
関西人的に言わせてもらうと、この流れも大阪の良いところだと思いますし(人情がある)、何よりも古代から続いてきた会社をつぶしてはならないという使命感が、銀行や高松建設を動かしたのかもしれませんね。
こうして再生した金剛組ですが、一時期は分野外の仕事に手を出したために経営が悪化しましたが、それでも1400年以上続いてこれたのは、金剛組がもつ経営のポリシーが作用していると伝えています。
それは血統を重んじるのではなく、実力主義だということ。
能力不足の本家の後継者がいれば、分家がそれを代わりに担い、それでも人材がでなければ外部から婿養子を迎えてきました。
これは金剛組だけでなく、古くから日本の商家や職人の世界で採用されてきた伝統的な経営方法でもありますよね。
伝えるべきは「血」ではなく「名前」。
これも武家や商家と同じで日本の伝統そのものですね。
加えて技術面でも、金剛組は飛鳥時代以来営々と培ってきた「宮大工」の技術を現在にまで伝えています。
2021年に始まった「金剛組匠育成塾」という塾で、若手を育成するための宮大工の専門学校になっています。
この期間(半年間)で生徒の性格や適性を見ていき、採用の可否や生徒自身の希望を捉えていくというシステム。
宮大工は厳しい世界だと聞きますが、システマティックに後継者を育てるという面でも、時代の流れに即しているなと思いますね。
一般の建設業ではない社寺の継承は「文化の保持」の意味もありますし、だからこそ世間の「利益」とは別の世界で動いて欲しい、そしてその技術の継承もぜひ次の世代が担ってほしいと熱く願っています。
まとめ
以上が今回の本のレビューで「とくに心に残った老舗の企業」についての「要点まとめ&感想」になります。
どれも創業の志を忘れないこと、時代の流れを見据えて動くことを心がけて、それぞれ紆余曲折を得ながらも現在まで経営を続けています。
その存在は世界でもトップレベルの老舗企業を抱える日本の「文化的な強み」でもありますし、それを可能にする日本社会の健全性を証明していると個人的にも感じています。
本書には今回取り上げた以外にも多くの老舗企業を紹介していますし、上記の企業の情報も取り上げたのはごく一部ですので、ぜひ本を手にしてより詳しい内容に目を通してほしいなと思います。
おすすめなのは会社の章ごとにまとめられている「何があっても潰れない会社の極意」。
それまでの会社紹介のポイントを3つに絞ってまとめているので、会社継続の「コア」を確認することができますよ。
会社経営をされている方も、これから起業を考えている方にも、ぜひ読んで頂きたい一冊です。